家族旅行中欧五カ国周遊10日間 ⑧-1 プラハ
その⑧-1
プラハ歴史地区観光 3時間予定です。
ユネスコの世界遺産です。
夜景のきれいだった プラハ城に移動です。
移動中のバスから

プラハ城のあるところまであがると 街並みが~
プラハ城周辺のフラッチャニ地区でしょうか?

プラハ城門近く

てくてく歩き門に向かうと 衛兵さんの交代式をみることが出来ました。
衛兵の交代式は一時間毎に行われ、正午の交代式は伴奏とともに行われるそうです。

門が東と西にあるようですが これは 東の正門か北か?
第二の中庭のようです。
プラハ城の王宮美術館

第二の中庭の真ん中に1686年に作られた噴水があります。
西側に聖十字架の礼拝堂があって、そのそばに大統領の官邸の入り口があります。

また 門をくぐると第3の中庭で正面にどーんと見える
聖ヴィート大聖堂

聖堂の中に入ります。
印象に残るのは きれいなステンドグラス!


天井にあるステンド



聖ヴィート大聖堂は、プラハ城の内にありプラハ大司教の主座である
。塔の高さ約99m、内部の幅60m、奥行き124mもある大きな教会である。
チェコにおけるゴシック建築の代表例でチェコで最も大きく重要な教会になっている。
とありました。
素敵な教会でした。
教会を出ると

まだ プラハ城見学続きます。
⑧-2に続く
プラハ歴史地区観光 3時間予定です。
ユネスコの世界遺産です。
夜景のきれいだった プラハ城に移動です。
移動中のバスから

プラハ城のあるところまであがると 街並みが~
プラハ城周辺のフラッチャニ地区でしょうか?

プラハ城門近く

てくてく歩き門に向かうと 衛兵さんの交代式をみることが出来ました。
衛兵の交代式は一時間毎に行われ、正午の交代式は伴奏とともに行われるそうです。

門が東と西にあるようですが これは 東の正門か北か?
第二の中庭のようです。
プラハ城の王宮美術館

第二の中庭の真ん中に1686年に作られた噴水があります。
西側に聖十字架の礼拝堂があって、そのそばに大統領の官邸の入り口があります。

また 門をくぐると第3の中庭で正面にどーんと見える
聖ヴィート大聖堂

聖堂の中に入ります。
印象に残るのは きれいなステンドグラス!


天井にあるステンド



聖ヴィート大聖堂は、プラハ城の内にありプラハ大司教の主座である
。塔の高さ約99m、内部の幅60m、奥行き124mもある大きな教会である。
チェコにおけるゴシック建築の代表例でチェコで最も大きく重要な教会になっている。
とありました。
素敵な教会でした。
教会を出ると

まだ プラハ城見学続きます。
⑧-2に続く
スポンサーサイト
家族旅行 中欧五カ国周遊10日間 その⑦-2
その⑦-2
テルチから 2時間30ほどのドライブで 一度 プラハのホテルにイン
夕食をかねて 夜のプラハ旧市街地散策に行きました。
途中 プラハ市街地近くの駅を通りました。


道路には 電車が せわしく走っていました。
これは新型車両

古い車両

くねった道をはしっています。
古いほうが 街にあってるね。!
レストランの向かって歩きます。
沢山のお客さんで賑わっているお店に入りました。

テーブルの中央には ビールバーが付いていたので 飲み放題かと
つい思ってしまいました。
夕食は 変わった?チェコ料理?牛料理でした。

お店を出て 旧市街にむかいます。
通りを進んでいくと 火薬塔が見えてきます。

さらに この門をくぐると旧市街に入ります。

旧市街は、1232年にヴァーツラフ2世によって創設された町です。
そして1253年にはその町を囲む城壁が作られ、城下町として発展しました。
そしてこの時代の王様の要望により、大勢の手工業者がドイツから
プラハへ寄せ集められたそうです。
旧市街の散策は 翌日の予定でしたが 添乗員さんのはからいで
かるく 旧市街の紹介をしてくれました。
旧市街広場です

そろそろ 日暮れてきました。
名のある建物が沢山ありました。
詳細は後日 ガイドさんが来て説明してくれるでしょう。
聖ミクラーシュ教会とヤン・フス像

聖ミクラーシュ教会

など 遠くから観ました。
本来の予定の プラハ城の見えるスポットにむかいます。
もう薄暗くなってきました。

ここも クルージングの船が 停泊しています。
やっとくれたのは 9時近いかな~


上の写真 私撮影
その下は 娘撮影です。
このあと ホテルに帰りました。
プラハ クラリオン コングレス1日目の夜でした。
プラハ歴史地区観光になります。
テルチから 2時間30ほどのドライブで 一度 プラハのホテルにイン
夕食をかねて 夜のプラハ旧市街地散策に行きました。
途中 プラハ市街地近くの駅を通りました。


道路には 電車が せわしく走っていました。
これは新型車両

古い車両

くねった道をはしっています。
古いほうが 街にあってるね。!
レストランの向かって歩きます。
沢山のお客さんで賑わっているお店に入りました。

テーブルの中央には ビールバーが付いていたので 飲み放題かと
つい思ってしまいました。
夕食は 変わった?チェコ料理?牛料理でした。

お店を出て 旧市街にむかいます。
通りを進んでいくと 火薬塔が見えてきます。

さらに この門をくぐると旧市街に入ります。

旧市街は、1232年にヴァーツラフ2世によって創設された町です。
そして1253年にはその町を囲む城壁が作られ、城下町として発展しました。
そしてこの時代の王様の要望により、大勢の手工業者がドイツから
プラハへ寄せ集められたそうです。
旧市街の散策は 翌日の予定でしたが 添乗員さんのはからいで
かるく 旧市街の紹介をしてくれました。
旧市街広場です

そろそろ 日暮れてきました。
名のある建物が沢山ありました。
詳細は後日 ガイドさんが来て説明してくれるでしょう。
聖ミクラーシュ教会とヤン・フス像

聖ミクラーシュ教会

など 遠くから観ました。
本来の予定の プラハ城の見えるスポットにむかいます。
もう薄暗くなってきました。

ここも クルージングの船が 停泊しています。
やっとくれたのは 9時近いかな~


上の写真 私撮影
その下は 娘撮影です。
このあと ホテルに帰りました。
プラハ クラリオン コングレス1日目の夜でした。
プラハ歴史地区観光になります。
長崎庭いじり 毎日少しづつ!
長崎に来て 2週間ほどたちました。
ジャングル化した庭も 少しですが 隙間が出来てきました。
毎日 暑い!!
日中は 午後4時過ぎごろまで 外に出たくありません。
でも 花をみると お手入れです。
ブットレアの花は小さくなってきていますが 毎日 入れ替わり咲いています。

コエビソウも こんなに

長崎庭は こんな感じです。
お花少なく 葉っぱばっかりになっています。

家には 日よけです。
ユーパトリュームは 毎年咲いてくれます。
白花もあったはずですが 何処へいったのでしょう?

ワンコローゼス 少し腰を痛めました。
体重も減らすようにしていますが 今回で3度目
ガンバレローゼス!

長崎で 楽しく園芸してます。
まだまだ 旅行記つづきます。
夜に 写真整理しながらかいていますが なかなか進みません。
旅行の復習って感じ!
今更 あんなとこ行ったんだと実感しています。
ジャングル化した庭も 少しですが 隙間が出来てきました。
毎日 暑い!!
日中は 午後4時過ぎごろまで 外に出たくありません。
でも 花をみると お手入れです。
ブットレアの花は小さくなってきていますが 毎日 入れ替わり咲いています。

コエビソウも こんなに

長崎庭は こんな感じです。
お花少なく 葉っぱばっかりになっています。

家には 日よけです。
ユーパトリュームは 毎年咲いてくれます。
白花もあったはずですが 何処へいったのでしょう?

ワンコローゼス 少し腰を痛めました。
体重も減らすようにしていますが 今回で3度目
ガンバレローゼス!

長崎で 楽しく園芸してます。
まだまだ 旅行記つづきます。
夜に 写真整理しながらかいていますが なかなか進みません。
旅行の復習って感じ!
今更 あんなとこ行ったんだと実感しています。
家族旅行 中欧五カ国周遊10日間 その⑦-1
その⑦-1
長い1日を ブダペストで過ごしました。
ブダペストから チェコ(モラヴィア地方)への移動からはじまります。
道路に看板があり 興味深くみました。

ホテル 8時出発~ 6時間ドライブ~チェコ(テルチ)まで 午後2時到着予定です。
さすがに 途中2度ほどのトイレ休憩
バスから見る景色は のんびり 静かに続く丘です。


テルチ到着です。
もうテルチカナ?

十字架をもった像があります。
誰でしょう?

それからしばらく歩くと 湖?池? まったりとした午後の様子です。
テルチの町は三つの池(シュチェプニッキー池、ウリツキー池、スタロムニェスツキー池)に
囲まれた天然の要塞となっているそうです。
シュチェプニッキー池


この建物のトンネル(ドルにー門)をくぐると テルチ歴史地区・ユネスコ世界遺産です。

城と、良質の保存がなされているルネサンス様式の長い中心地が含まれる
ということで1992年ユネスコ世界遺産に登録されています。
レストラン到着です。
かなり 遅い昼食となりました。

昼食・スープ


あと これにデザート,付き ビールはオーダーです。
美味しかった!
私的 スープも魚料理もとても口に合いました。
さあ お腹も一杯になったところで 観光です。
この町の起源は12世紀頃かららしいですが、14世紀に優雅なルネッサンス風の町に発展し
領主ザハリアーシュが、1530年の大火で全焼した町を
ルネッサンス様式および初期バロック様式で建て直させたようです。
ザハリアーシュ広場
この可愛い建物風景がひろがります。
ルネッサンス、初期バロック様式のカラフルな建物。
模様はスグラフィット方式で描かれています。



中央のマリア柱像は 18世紀はじめのペスト終焉記念で建てられたものです。
イエズス教会の双塔、聖ヤコブ教会

脇道があったので 行ってみると~
石畳と建物が~ のどか~


ウリッキー池があり ウリッキー橋がかかっています。
ここからは 教会やテルチ城がみられます。



ここは きれいなところでした。
残念ながら テルチ城は 散策時間1時間では まわることが出来ませんでした。
というか テルチ城はとばして脇道に向かったからです。
娘写真から メルヘンチックな建物のある 広場から

テルチでも アイビーゼラニューム!

テルチからプラハに向かいます。
150kmを2時間30分かけての移動です。
ホテル プラハ(クラリオン コングレス)に2泊します。
この後 夕食と散策に~
その⑦-2に続く
長い1日を ブダペストで過ごしました。
ブダペストから チェコ(モラヴィア地方)への移動からはじまります。
道路に看板があり 興味深くみました。

ホテル 8時出発~ 6時間ドライブ~チェコ(テルチ)まで 午後2時到着予定です。
さすがに 途中2度ほどのトイレ休憩
バスから見る景色は のんびり 静かに続く丘です。


テルチ到着です。
もうテルチカナ?

十字架をもった像があります。
誰でしょう?

それからしばらく歩くと 湖?池? まったりとした午後の様子です。
テルチの町は三つの池(シュチェプニッキー池、ウリツキー池、スタロムニェスツキー池)に
囲まれた天然の要塞となっているそうです。
シュチェプニッキー池


この建物のトンネル(ドルにー門)をくぐると テルチ歴史地区・ユネスコ世界遺産です。

城と、良質の保存がなされているルネサンス様式の長い中心地が含まれる
ということで1992年ユネスコ世界遺産に登録されています。
レストラン到着です。
かなり 遅い昼食となりました。

昼食・スープ


あと これにデザート,付き ビールはオーダーです。
美味しかった!
私的 スープも魚料理もとても口に合いました。
さあ お腹も一杯になったところで 観光です。
この町の起源は12世紀頃かららしいですが、14世紀に優雅なルネッサンス風の町に発展し
領主ザハリアーシュが、1530年の大火で全焼した町を
ルネッサンス様式および初期バロック様式で建て直させたようです。
ザハリアーシュ広場
この可愛い建物風景がひろがります。
ルネッサンス、初期バロック様式のカラフルな建物。
模様はスグラフィット方式で描かれています。



中央のマリア柱像は 18世紀はじめのペスト終焉記念で建てられたものです。
イエズス教会の双塔、聖ヤコブ教会

脇道があったので 行ってみると~
石畳と建物が~ のどか~


ウリッキー池があり ウリッキー橋がかかっています。
ここからは 教会やテルチ城がみられます。



ここは きれいなところでした。
残念ながら テルチ城は 散策時間1時間では まわることが出来ませんでした。
というか テルチ城はとばして脇道に向かったからです。
娘写真から メルヘンチックな建物のある 広場から

テルチでも アイビーゼラニューム!

テルチからプラハに向かいます。
150kmを2時間30分かけての移動です。
ホテル プラハ(クラリオン コングレス)に2泊します。
この後 夕食と散策に~
その⑦-2に続く
家族旅行 中欧五カ国周遊10日間 その⑥-4
その6-4
ブダペスト近郊のセンテンドレに向かいます。
ドナウ川 クルージング用の船着き場があります。

ブダペストから 北へ20㌔ ドナウ川の西側にあります。
セルビア人が オスマントルコから逃げて 定住したと言われています。
のどかな小店のある街ですね

興味ある店が沢山あります。
ガラス屋さんの看板も面白いです。


ワイン博物館

知らなかったのですが 有料で試飲が出来たとか?
トカイワインだと思いますが 甘くてこくのあるワインです。
博物館は レストランの方に一声かけて無料らしいです。
歩き進むと 中央広場があり 中央には ペスト終息のペスト像が
ここにもありました。

街の中心的存在とされている セルビア正司教(ポジャレヴァチカ教会)

小さな街の中に 7つもの教会があるそうです。
これも教会!ブレオブラジェンスカ教会の屋根だけ~

この付近で 1時間ほどのフリータイムとなったので
娘の趣味の店へ

クリスマスのオーメントなどの販売をしているショップへ
入口のクルミ割り人形 とくにお気に入りで ご購入でしたね。
もう1つ 手作りフェルトのお店

説明を受けたが忘れてしまったひつじさん

センテンドレのエンブレムの中に羊が記されているから それに関係している
のかしら?
センテンドレで見たお花?

街から ちょっと道をそれると ドナウ川があります。
私達は 川までいきませんでしたが 迷路になっている小路は少し行きました。
時間があればと思いましたが お買いもの大好き家族なので その時間も
きっとお買いもの時間にまわしたことでしょう。
ここをあとに ブダペストに向かいます。
途中 また 変わった建物をみました。
シナゴーク ユダヤ教関係のものです。

こんな建物

と言ってる間にホテル到着でした。
ホテルにて小休憩後 夕食とドナウ川ナイトクルージングにむかいます。
夕食は あまり好きでありませんでしたが ビールは美味しい!
船着き場に行きます。
どんな船か ワクワクでしたが 100人乗りの船に13人貸切でした。
時間は 8時過ぎてますが まだ明るく ライトアップされてません。
船に乗り込んだころには ブタ方面が 赤く染まっています。

徐々に暗くなっていくドナウ川が とてもきれいでした。


エリザーベート橋を過ぎたくらいで くさり橋もやっと ライトアップです。


エリザベート橋とブダの王宮

くさり橋

ペスト側 国会議事堂


クルーズ終了して ホテルについたのは もう 10時半過ぎ
この日は 朝から かなり歩き 夜遅くまでの観光でした。
ブダペストから チェコ(テルチ)にむかいます。
ブダペスト近郊のセンテンドレに向かいます。
ドナウ川 クルージング用の船着き場があります。

ブダペストから 北へ20㌔ ドナウ川の西側にあります。
セルビア人が オスマントルコから逃げて 定住したと言われています。
のどかな小店のある街ですね

興味ある店が沢山あります。
ガラス屋さんの看板も面白いです。


ワイン博物館

知らなかったのですが 有料で試飲が出来たとか?
トカイワインだと思いますが 甘くてこくのあるワインです。
博物館は レストランの方に一声かけて無料らしいです。
歩き進むと 中央広場があり 中央には ペスト終息のペスト像が
ここにもありました。

街の中心的存在とされている セルビア正司教(ポジャレヴァチカ教会)

小さな街の中に 7つもの教会があるそうです。
これも教会!ブレオブラジェンスカ教会の屋根だけ~

この付近で 1時間ほどのフリータイムとなったので
娘の趣味の店へ

クリスマスのオーメントなどの販売をしているショップへ
入口のクルミ割り人形 とくにお気に入りで ご購入でしたね。
もう1つ 手作りフェルトのお店

説明を受けたが忘れてしまったひつじさん

センテンドレのエンブレムの中に羊が記されているから それに関係している
のかしら?
センテンドレで見たお花?

街から ちょっと道をそれると ドナウ川があります。
私達は 川までいきませんでしたが 迷路になっている小路は少し行きました。
時間があればと思いましたが お買いもの大好き家族なので その時間も
きっとお買いもの時間にまわしたことでしょう。
ここをあとに ブダペストに向かいます。
途中 また 変わった建物をみました。
シナゴーク ユダヤ教関係のものです。

こんな建物

と言ってる間にホテル到着でした。
ホテルにて小休憩後 夕食とドナウ川ナイトクルージングにむかいます。
夕食は あまり好きでありませんでしたが ビールは美味しい!
船着き場に行きます。
どんな船か ワクワクでしたが 100人乗りの船に13人貸切でした。
時間は 8時過ぎてますが まだ明るく ライトアップされてません。
船に乗り込んだころには ブタ方面が 赤く染まっています。

徐々に暗くなっていくドナウ川が とてもきれいでした。


エリザーベート橋を過ぎたくらいで くさり橋もやっと ライトアップです。


エリザベート橋とブダの王宮

くさり橋

ペスト側 国会議事堂


クルーズ終了して ホテルについたのは もう 10時半過ぎ
この日は 朝から かなり歩き 夜遅くまでの観光でした。
ブダペストから チェコ(テルチ)にむかいます。
家族旅行中欧5カ国周遊10日間 その⑥-3
その⑥-3
ペスト側にある英雄広場に バスでむかっています。
バスから 修復中の国会議事堂を見ることができました。

英雄広場です。
バスから降りて 塔をみました。


建国1000年を記念して1896年に造られた広場。中欧には高さ35Mの
建国千年記念碑が建つ。頂上にはイシュトヴァーンに王位を授けるよう
ローマ法王に告げられたと言われる大天使ガブリエルの像があり
、台座にはハンガリー人の祖先とされる7つの部族長の騎馬像がある。
左右には歴代の英雄像があり、柱の上にある4体の像は、左から、労働と繁栄、戦い、
平和、学問と芸術を象徴している。
その後 ブタ地区に向かいますが バスから見える建物は 素晴らしいものばかりです。


ここで 午前中の観光は終わり
私達家族は オプショナルツアーを予約していたので 参加します。
昼食付きで ドナウペント観光にいきます。
また くさり橋を渡り ブタ地区にある レストランに行きます。
迷路になったような所をあるきました。
着いたレストランは風情のある 隠れ家てきなところでした。
でも ツアーの日本人のかたと あいましたね。

これに サラダとデザート(フルーツポンチみたいな感じ)
レストランのそとには パプリカや トマトが干してありました。

いい感じ!!
ツアーは ブタペスト近郊のようです。
ドナウ川はブタペストの北側で,その流れを南へと変えています。
この曲がり角は「ドナウベンドとよばれ 古都が点在しています。
その1つ エステルゴムに行きます。
エステルゴムの大聖堂

初代の大聖堂は 1000年頃、ハンガリー国王イシュトヴァーン1世により聖アダルベルトの
教会として建設される。 その後12世紀に火災で焼失、
修築されるもトルコ軍の襲撃により破壊されたという。
現在の大聖堂は 1822年に建設を開始したが、1848年革命等で中断され、
結局は1869年に完成したそうです。
雨が降りそうだったので 大聖堂に入る前に 展望所からの景色を
見ることに~
ドナウ川 対岸にみえるは 中州らしい


ハンガリーで一番大きいと言われている カトリック教会です。
入ると 地下がありました。

中の様子です。

天井も見事です。

祭壇のマリア様です

ドームの下は パワーパワーポイントと紹介をうけ 私達も 無心で
立ってみました。
写真は 私でなく 添乗員のお姉さんです。

ここも 観光地なので 沢山の出店が出ていました。
ここでも 15分ほどフリーの時間があったので うろうろ
地下にトンネルがありました。
となりのトンネルには レストランになっていました。

お花畑には 今盛りとばかりに ラベンダーの花が咲いていました。

と 敷地内には こんなあ建物が・・・
なんと書いてあるのでしょう?

次の 目的地に向かいます。
ドナウベント セントレアに向かいます。
その⑥-4につづく
ペスト側にある英雄広場に バスでむかっています。
バスから 修復中の国会議事堂を見ることができました。

英雄広場です。
バスから降りて 塔をみました。


建国1000年を記念して1896年に造られた広場。中欧には高さ35Mの
建国千年記念碑が建つ。頂上にはイシュトヴァーンに王位を授けるよう
ローマ法王に告げられたと言われる大天使ガブリエルの像があり
、台座にはハンガリー人の祖先とされる7つの部族長の騎馬像がある。
左右には歴代の英雄像があり、柱の上にある4体の像は、左から、労働と繁栄、戦い、
平和、学問と芸術を象徴している。
その後 ブタ地区に向かいますが バスから見える建物は 素晴らしいものばかりです。


ここで 午前中の観光は終わり
私達家族は オプショナルツアーを予約していたので 参加します。
昼食付きで ドナウペント観光にいきます。
また くさり橋を渡り ブタ地区にある レストランに行きます。
迷路になったような所をあるきました。
着いたレストランは風情のある 隠れ家てきなところでした。
でも ツアーの日本人のかたと あいましたね。

これに サラダとデザート(フルーツポンチみたいな感じ)
レストランのそとには パプリカや トマトが干してありました。

いい感じ!!
ツアーは ブタペスト近郊のようです。
ドナウ川はブタペストの北側で,その流れを南へと変えています。
この曲がり角は「ドナウベンドとよばれ 古都が点在しています。
その1つ エステルゴムに行きます。
エステルゴムの大聖堂

初代の大聖堂は 1000年頃、ハンガリー国王イシュトヴァーン1世により聖アダルベルトの
教会として建設される。 その後12世紀に火災で焼失、
修築されるもトルコ軍の襲撃により破壊されたという。
現在の大聖堂は 1822年に建設を開始したが、1848年革命等で中断され、
結局は1869年に完成したそうです。
雨が降りそうだったので 大聖堂に入る前に 展望所からの景色を
見ることに~
ドナウ川 対岸にみえるは 中州らしい


ハンガリーで一番大きいと言われている カトリック教会です。
入ると 地下がありました。

中の様子です。

天井も見事です。

祭壇のマリア様です

ドームの下は パワーパワーポイントと紹介をうけ 私達も 無心で
立ってみました。
写真は 私でなく 添乗員のお姉さんです。

ここも 観光地なので 沢山の出店が出ていました。
ここでも 15分ほどフリーの時間があったので うろうろ
地下にトンネルがありました。
となりのトンネルには レストランになっていました。

お花畑には 今盛りとばかりに ラベンダーの花が咲いていました。

と 敷地内には こんなあ建物が・・・
なんと書いてあるのでしょう?

次の 目的地に向かいます。
ドナウベント セントレアに向かいます。
その⑥-4につづく
家族旅行 中欧五カ国周遊10日間 その⑥-2
その⑥-2
マーチャーシュ教会にむかってます。
正式には 聖マリア教会といわれれいるそうです。

マーチャーシュ教会とタワーです。


屋根が、お花をモチーフにした陶磁器だそうです。
そろそろ中に入ります。
入口も見事なつくりです。

撮影可能な教会ですので 写真とりまくり ガイドさんの説明は 聞いてましたよ!
1867年、オーストリア=ハンガリー二重帝国が誕生し、ハプスブルク家の
フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后は、この教会で戴冠式を行いました・
教会天井 きれい~

なんといってもきれいなのは ステンドグラス


2階から見る主祭壇です・

マーチャーシュー王の紋章

展示物の部屋では 王冠など 展示されていました。
初代国王から 代々受け継がれた王冠で これはレプリカだそうです。

沢山の戦いがあり 歴史ある教会でした。
外に出ると 漁夫の砦を見ることができます。


初代ハンガリー王聖イシュトバーンの騎士像がたっています。


1000年、イシュトヴァーンはローマ教皇シルヴェステル2世から王冠を授かり
、ハンガリー王に即位します。
彼はヴェネチアからやってきた宣教師ゲッレールトを受け入れるとともに、
自らも国内を歩き回ってキリスト教の布教に努めたそうです。
塔の下では こんな鷹?の大道芸?をしていました。

漁夫の砦建物を利用したレストラン

漁夫の砦は王宮の旧城壁を利用して1896~1905年にかけて建設されました。
、ここに魚市場があったためとか、いくつかの説があるそうです。
砦に建っている7つの尖塔は、この地にやってきたマジャール人が7つの部族で
構成されていたことに由来しているそうです。
眺望も最高に良く ブタとペストの街がよくみえました。

遠く見える橋は マルギット島にかかる マルギット橋です・
展望台で満喫したところで 下の駐車場まで降りて行きます。

さあ くさり橋(セーチェーニくさり橋)渡ります。

最近は 重量のある大型車は規制されているそうです。
トレードの舌のない ライオン像

ペストにある 英雄広場に向かいます。
その⑥-3につづく
マーチャーシュ教会にむかってます。
正式には 聖マリア教会といわれれいるそうです。

マーチャーシュ教会とタワーです。


屋根が、お花をモチーフにした陶磁器だそうです。
そろそろ中に入ります。
入口も見事なつくりです。

撮影可能な教会ですので 写真とりまくり ガイドさんの説明は 聞いてましたよ!
1867年、オーストリア=ハンガリー二重帝国が誕生し、ハプスブルク家の
フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリザベート皇后は、この教会で戴冠式を行いました・
教会天井 きれい~

なんといってもきれいなのは ステンドグラス


2階から見る主祭壇です・

マーチャーシュー王の紋章

展示物の部屋では 王冠など 展示されていました。
初代国王から 代々受け継がれた王冠で これはレプリカだそうです。


沢山の戦いがあり 歴史ある教会でした。
外に出ると 漁夫の砦を見ることができます。


初代ハンガリー王聖イシュトバーンの騎士像がたっています。


1000年、イシュトヴァーンはローマ教皇シルヴェステル2世から王冠を授かり
、ハンガリー王に即位します。
彼はヴェネチアからやってきた宣教師ゲッレールトを受け入れるとともに、
自らも国内を歩き回ってキリスト教の布教に努めたそうです。
塔の下では こんな鷹?の大道芸?をしていました。

漁夫の砦建物を利用したレストラン

漁夫の砦は王宮の旧城壁を利用して1896~1905年にかけて建設されました。
、ここに魚市場があったためとか、いくつかの説があるそうです。
砦に建っている7つの尖塔は、この地にやってきたマジャール人が7つの部族で
構成されていたことに由来しているそうです。
眺望も最高に良く ブタとペストの街がよくみえました。

遠く見える橋は マルギット島にかかる マルギット橋です・
展望台で満喫したところで 下の駐車場まで降りて行きます。

さあ くさり橋(セーチェーニくさり橋)渡ります。

最近は 重量のある大型車は規制されているそうです。
トレードの舌のない ライオン像

ペストにある 英雄広場に向かいます。
その⑥-3につづく
家族旅行中欧五カ国周遊10日間 その⑥-1
その⑥-1
ブタペスト この日は 朝移動なしだったので 楽な出発でした。
ホテル前より

ブタペスト観光です。
たっぷり3時間予定の観光です
ブタ王宮のある丘に ペスト方面から エリザベートの橋を渡り


丘に上がる ケーブルカー乗り場があります。
金額は 00€(ユーロ)?

私達は バスでうえまであがりましたが 個人のかたは 利用されても
と紹介されました。
王宮も歴史があります。
最初に「王宮」が建てられたのは13世紀半ばで、ハンガリー王ベーラ四世の命による。
「14世紀には当時の王ラヨシュ1世によって王宮の増改築が行われ、
15世紀になると王マーチャーシュ1世のもと、、王宮を中心にハンガリー・ルネツサンス
の幕が切って落とされた。しかし16世紀には、トルコとの戦いで王宮は壊滅してしまった・
その後ハンガリーを支配したハプスブルク家の女帝マリア・テレジアだった。
男系が断絶したハプスブルク家の家督をマリア・テレジアが継いだことにより、
1740年にオーストリア継承戦争、続いて七年戦争が勃発、
苦境に追い込まれたマリア・テレジアは、ハンガリー議会に赴き、
『騎士にして勇士たるハンガリー国民』に救いを求めた。これに応え、
ハンガリーの貴族たちは、マリア・テレジアの王位を守った。
1770年、マリア・テレジアはブダの王宮をバロック様式で再建する。
しかし、1848年と翌年の革命で焼失。その後も再建・拡張を繰り返し
、半世紀後の1904年にネオ・バロックの巨大王宮として生まれかわるが、
これも第二次世界大戦で破壊。50年代に現在の形に修復されたのもつかの間、
56年のハンガリー動乱で大破 復旧したのは80年代に入ってから
戦いがたえなかったようです。
今でも 壁に銃撃・砲火の跡が残っていました。

王宮の方に向かって歩いていきますが 途中に国立ダンス劇場や

大統領官邸を左手にみながら・・・

王宮前の門に向かいます。


王宮 国立美術館


ここは 見どころ有りの所でした。彫像もいいし お花もきれい
ルドベキアの花が可愛くさいていました。

噴水・・大きい

ライオンの門に向かいます。

ライオンの名前の由来かな!


この建物は 韓国ドラマ 「アイリス」の撮影場所となったところです。
と ガイドさんが教えてくれました。
ここもお花がルドベキアを中心にバーベナ,マリーゴールドなど

中庭を出て ペストの街が見える展望所にいきます。

ここからは ペストにある 国会議事堂など観ることができました。

手前にみえるは くさり橋です。
歩きます。もう 何処を歩いているかわかりません。

この建物は 大統領官邸で 衛兵さんがいます。 あとで 一緒に写真撮ってもらいました。

そしてこの建物は 一番古い建物だとか
右側の建物です。

そろそろ マーチャーシュ教会方面に向かいます。
しかし広いです。
王宮が1つの街となっています。
マーチャーシュー教会か~ 漁夫の砦に向かいます。
その⑥-2につづく
ブタペスト この日は 朝移動なしだったので 楽な出発でした。
ホテル前より

ブタペスト観光です。
たっぷり3時間予定の観光です
ブタ王宮のある丘に ペスト方面から エリザベートの橋を渡り


丘に上がる ケーブルカー乗り場があります。
金額は 00€(ユーロ)?

私達は バスでうえまであがりましたが 個人のかたは 利用されても
と紹介されました。
王宮も歴史があります。
最初に「王宮」が建てられたのは13世紀半ばで、ハンガリー王ベーラ四世の命による。
「14世紀には当時の王ラヨシュ1世によって王宮の増改築が行われ、
15世紀になると王マーチャーシュ1世のもと、、王宮を中心にハンガリー・ルネツサンス
の幕が切って落とされた。しかし16世紀には、トルコとの戦いで王宮は壊滅してしまった・
その後ハンガリーを支配したハプスブルク家の女帝マリア・テレジアだった。
男系が断絶したハプスブルク家の家督をマリア・テレジアが継いだことにより、
1740年にオーストリア継承戦争、続いて七年戦争が勃発、
苦境に追い込まれたマリア・テレジアは、ハンガリー議会に赴き、
『騎士にして勇士たるハンガリー国民』に救いを求めた。これに応え、
ハンガリーの貴族たちは、マリア・テレジアの王位を守った。
1770年、マリア・テレジアはブダの王宮をバロック様式で再建する。
しかし、1848年と翌年の革命で焼失。その後も再建・拡張を繰り返し
、半世紀後の1904年にネオ・バロックの巨大王宮として生まれかわるが、
これも第二次世界大戦で破壊。50年代に現在の形に修復されたのもつかの間、
56年のハンガリー動乱で大破 復旧したのは80年代に入ってから
戦いがたえなかったようです。
今でも 壁に銃撃・砲火の跡が残っていました。

王宮の方に向かって歩いていきますが 途中に国立ダンス劇場や

大統領官邸を左手にみながら・・・

王宮前の門に向かいます。


王宮 国立美術館


ここは 見どころ有りの所でした。彫像もいいし お花もきれい
ルドベキアの花が可愛くさいていました。

噴水・・大きい

ライオンの門に向かいます。

ライオンの名前の由来かな!


この建物は 韓国ドラマ 「アイリス」の撮影場所となったところです。
と ガイドさんが教えてくれました。
ここもお花がルドベキアを中心にバーベナ,マリーゴールドなど

中庭を出て ペストの街が見える展望所にいきます。

ここからは ペストにある 国会議事堂など観ることができました。

手前にみえるは くさり橋です。
歩きます。もう 何処を歩いているかわかりません。

この建物は 大統領官邸で 衛兵さんがいます。 あとで 一緒に写真撮ってもらいました。

そしてこの建物は 一番古い建物だとか
右側の建物です。

そろそろ マーチャーシュ教会方面に向かいます。
しかし広いです。
王宮が1つの街となっています。
マーチャーシュー教会か~ 漁夫の砦に向かいます。
その⑥-2につづく
家族旅行中欧五カ国10日間周遊 ⑤-2
⑤-2
スロバキア~ハンガリーへ移動です。
(ハンガリー)パンノンハルマ修道院
駐車場から 売店 トイレの建物から 遊歩道を歩いていきます。
途中に 壁に石造が!




修道院到着ですが 残念ながら 中に入ることはできませんでした。
入りり口の 門が素敵です。

ワイナリーがあるということで またまた奥へと歩いていきましたが
ここも 残念ながらお休みでした。
ここまで 2時間もかけてきたのに~
仕方ないですね。
売店で ラベンダーの石ケン・アロマオイル購入
ハンガリーなので 通貨がフォリントなので €(ユーロ)を
出して フォリントの小銭のおつり
これは のちのち 有料のトイレ代 ホテルチップ代,ビール代に
かわります。
また 2時間30分 (140km)かけて ハンガリー(ブタペスト)に行きます。
広がる牧草地とトウモロコシ畑 ひまわり畑 ぶどう畑
と 思いながら お昼寝です。
今まで のどかな牧歌的な景色だったのが ブタペストにはいると
また オーストリアとは 雰囲気の違った街と感じました。

絶景ポイントと呼ばれている 「ゲレルトの丘」に行きます。
ゲレルトとは ゲレルト”とは、ハンガリーをキリスト教化するために
、国王に招かれたイタリア人伝道師の名前だそうです。
丘から観る景色は ドナウ川を左にブダの王宮、右に国会議事堂を中心とした
ペストの市街、そしてそれらを結ぶ“くさり橋”です。

王宮のある “ブタ”側

”ベスト”側 市街

やはり 絶景ポイントというだけあって 素敵な眺望です。
でも 少し曇りだったかな?
露店も沢山出ていて カロチャ刺繍のお土産など出てましたね。
ここでは 戦闘があったらしく 砲火の跡が今もいたいたらしく 壁に
残っていました。


その時のものかはわかりませんが 丘の頂上には1947年の解放記念碑が
立っていました。
ナチス・ドイツと戦って倒れたソ連軍兵士を慰霊するものだそうです。

これは 岩山の突端にあるので 下から眺めることができました。
そろそろ夕食に向かいます。
ここでも 電車が走っていました。

そして ここが レストラン

サラダ・ハンガリー郷土料理(グヤージュ)・デザート

ここでは ハンガリー音楽 生演奏です。
バイオリンのおじ様が 各テーブルをまわり” あなたの為に”って感じで
傍で 弾き語り!
チップはずみました。^^;
店内の写真があったので 雰囲気だけ~

ホテル ベストウエスタンホテル ハンガリアに向かいます。 ここも 2泊します。
旅行 5日目 その⑥につづく
* 間違っているところが 多少あるかと思いますが
お見逃しを~
スロバキア~ハンガリーへ移動です。
(ハンガリー)パンノンハルマ修道院
駐車場から 売店 トイレの建物から 遊歩道を歩いていきます。
途中に 壁に石造が!




修道院到着ですが 残念ながら 中に入ることはできませんでした。
入りり口の 門が素敵です。

ワイナリーがあるということで またまた奥へと歩いていきましたが
ここも 残念ながらお休みでした。
ここまで 2時間もかけてきたのに~
仕方ないですね。
売店で ラベンダーの石ケン・アロマオイル購入
ハンガリーなので 通貨がフォリントなので €(ユーロ)を
出して フォリントの小銭のおつり
これは のちのち 有料のトイレ代 ホテルチップ代,ビール代に
かわります。
また 2時間30分 (140km)かけて ハンガリー(ブタペスト)に行きます。
広がる牧草地とトウモロコシ畑 ひまわり畑 ぶどう畑
と 思いながら お昼寝です。
今まで のどかな牧歌的な景色だったのが ブタペストにはいると
また オーストリアとは 雰囲気の違った街と感じました。

絶景ポイントと呼ばれている 「ゲレルトの丘」に行きます。
ゲレルトとは ゲレルト”とは、ハンガリーをキリスト教化するために
、国王に招かれたイタリア人伝道師の名前だそうです。
丘から観る景色は ドナウ川を左にブダの王宮、右に国会議事堂を中心とした
ペストの市街、そしてそれらを結ぶ“くさり橋”です。

王宮のある “ブタ”側

”ベスト”側 市街

やはり 絶景ポイントというだけあって 素敵な眺望です。
でも 少し曇りだったかな?
露店も沢山出ていて カロチャ刺繍のお土産など出てましたね。
ここでは 戦闘があったらしく 砲火の跡が今もいたいたらしく 壁に
残っていました。


その時のものかはわかりませんが 丘の頂上には1947年の解放記念碑が
立っていました。
ナチス・ドイツと戦って倒れたソ連軍兵士を慰霊するものだそうです。

これは 岩山の突端にあるので 下から眺めることができました。
そろそろ夕食に向かいます。
ここでも 電車が走っていました。

そして ここが レストラン

サラダ・ハンガリー郷土料理(グヤージュ)・デザート

ここでは ハンガリー音楽 生演奏です。
バイオリンのおじ様が 各テーブルをまわり” あなたの為に”って感じで
傍で 弾き語り!
チップはずみました。^^;
店内の写真があったので 雰囲気だけ~

ホテル ベストウエスタンホテル ハンガリアに向かいます。 ここも 2泊します。
旅行 5日目 その⑥につづく
* 間違っているところが 多少あるかと思いますが
お見逃しを~
家族旅行 中欧五カ国周遊10日間 その⑤-1
その⑤-1
オーストリア(ポーセンドルフ)イベントホテル ピラミッドを2泊し
次の目的地に向かいます。
~バスで 70km 1時間30分のドライブ スロバキア(ブラチスラバ)へ
途中の景色は 相変わらず こんな感じで ここにも風車が沢山!

途中トイレ休憩取りながら 朝寝
ドナウ河を渡る橋の上から ブラチスラバ城を見ることができました。

今回のガイドさんは 現地の方(ソロバキア人) 日本語がお上手です。
実は レストランのある建物で お土産屋さんしてます。
ガイドさん案内で ブラチスラバ城のあるところに行きます。

城壁から ドナウ河を観ます。

同じく 先ほど渡った橋と ユーホーと呼ばれるレストラン

ブラチスラバ城 正面から

もう1つの建物

お城の前まで 電車が走ってる~ こんな高いところまで~!

スロバキアの首都、ブラチスラバに建つブラチスラバ城。
ドナウ川に沿う丘の上に建つ。城の4隅に塔が立っているため
「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれています。
9世紀、大モラビア王国時代には宮殿が作られ、17世紀になって、
オスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて
現在の姿になったとようである。
18世紀、マリア・テレジア時代にはブラチスラバ城はバロック風に改築された。
マリア・テレジアは、義理の息子であるアルベルト・テッシェンを
ハンガリー総督にしこの城を与えた。マリア・テレジアも居城として使用していた。
しかし、マリア・テレジアの死とともに城は衰退し、
19世紀に入って火事で焼失し 復旧は、第2次世界大戦後の
チェコスロバキア時代だそうです。
中は 入っていませんが スロバキア国立歴史博物館と楽譜博物館が
あるそうです。
旧市街に移動です。
街の様子

遠くに見えるミハエル塔

ミハエル門

ミハエル門についていた マーク

またまた ミハエル塔眺める・

聖マルチン教会
ハンガリー王国の首都だった時 ハンガリー王家の戴冠式がおこなわれた。

教会に向かう道路には、小さな「王冠のマーク」が埋め込まれている。
これは、戴冠式の後のパレードのコースを示しているそうです。

歩きながら ユニークな彫像発見!
パパラッチという店では パパラッチ

道路では 3回交通事故にあった下水道掃除人の彫像

こんな ユニークな彫像があると 歩いて回る私達(観光客)を
楽しませてくれますね。
あと モーツアルトが演奏した家,リストが幼少時代に過ごした家など ありました。

スロベキアの首都である ブラチスラバの中心となる広場でフラヴネー広場
広場には 日本大使館がありました。
緑の建物で 2階まどには日本国旗がありました。

中心には噴水がありました
この辺りにも可愛いお店が並んでいました。

ここあとに 昼食場に向かいます。
近くには ホテルや 電車(トラム)が走っていました。

国立オペラ劇場

緑多いこの公園は フビエズドスラホボ広場

新名所となるところだそうです。
ドナウ河沿いにあるレストランで昼食です。

お腹いっぱいになったところで 2時間のお昼寝ドライブです。
スロバキア(ブラチスラバ)~ハンガリー(パンノンハルマ)
100km 2時間です
その⑤-2につづく
オーストリア(ポーセンドルフ)イベントホテル ピラミッドを2泊し
次の目的地に向かいます。
~バスで 70km 1時間30分のドライブ スロバキア(ブラチスラバ)へ
途中の景色は 相変わらず こんな感じで ここにも風車が沢山!

途中トイレ休憩取りながら 朝寝
ドナウ河を渡る橋の上から ブラチスラバ城を見ることができました。

今回のガイドさんは 現地の方(ソロバキア人) 日本語がお上手です。
実は レストランのある建物で お土産屋さんしてます。
ガイドさん案内で ブラチスラバ城のあるところに行きます。

城壁から ドナウ河を観ます。

同じく 先ほど渡った橋と ユーホーと呼ばれるレストラン

ブラチスラバ城 正面から

もう1つの建物

お城の前まで 電車が走ってる~ こんな高いところまで~!

スロバキアの首都、ブラチスラバに建つブラチスラバ城。
ドナウ川に沿う丘の上に建つ。城の4隅に塔が立っているため
「ひっくり返したテーブル」とも呼ばれています。
9世紀、大モラビア王国時代には宮殿が作られ、17世紀になって、
オスマントルコの侵入に備えるため4つの塔が追加・改築されて
現在の姿になったとようである。
18世紀、マリア・テレジア時代にはブラチスラバ城はバロック風に改築された。
マリア・テレジアは、義理の息子であるアルベルト・テッシェンを
ハンガリー総督にしこの城を与えた。マリア・テレジアも居城として使用していた。
しかし、マリア・テレジアの死とともに城は衰退し、
19世紀に入って火事で焼失し 復旧は、第2次世界大戦後の
チェコスロバキア時代だそうです。
中は 入っていませんが スロバキア国立歴史博物館と楽譜博物館が
あるそうです。
旧市街に移動です。
街の様子

遠くに見えるミハエル塔

ミハエル門

ミハエル門についていた マーク

またまた ミハエル塔眺める・

聖マルチン教会
ハンガリー王国の首都だった時 ハンガリー王家の戴冠式がおこなわれた。

教会に向かう道路には、小さな「王冠のマーク」が埋め込まれている。
これは、戴冠式の後のパレードのコースを示しているそうです。

歩きながら ユニークな彫像発見!
パパラッチという店では パパラッチ

道路では 3回交通事故にあった下水道掃除人の彫像

こんな ユニークな彫像があると 歩いて回る私達(観光客)を
楽しませてくれますね。
あと モーツアルトが演奏した家,リストが幼少時代に過ごした家など ありました。

スロベキアの首都である ブラチスラバの中心となる広場でフラヴネー広場
広場には 日本大使館がありました。
緑の建物で 2階まどには日本国旗がありました。

中心には噴水がありました
この辺りにも可愛いお店が並んでいました。

ここあとに 昼食場に向かいます。
近くには ホテルや 電車(トラム)が走っていました。

国立オペラ劇場

緑多いこの公園は フビエズドスラホボ広場

新名所となるところだそうです。
ドナウ河沿いにあるレストランで昼食です。

お腹いっぱいになったところで 2時間のお昼寝ドライブです。
スロバキア(ブラチスラバ)~ハンガリー(パンノンハルマ)
100km 2時間です
その⑤-2につづく
家族旅行中欧五カ国周遊10日間 その④-2
その④-2
まだまだ ウィーンです。
写真の確認で きづきました。
午前中は シェーンブルン宮殿は 行きました。
でも 新王宮は バスからの見学だったかも~
ウィーン歴史地区のシュテファン寺院は外見だけの見学で 自由行動のあとに
その時の歴史地区の様子


すごい人でした。
午後2時から
オプショナルツアー
ウィーンの森とバーデン観光を申し込んでいたので参加しました。
マイヤーリングの皇太子別荘=狩猟の館
エリザベート皇后のたった一人の息子:ルドルフ皇太子は、
1889年、ウィーンの南30kmのウィーンの森マイヤーリンクにある
「皇太子別荘=狩猟の館」で、男爵夫人マリーと共に自殺します。時に皇太子30歳
、マリーは17歳でした。これが後に映画にもなった「うたかたの恋」の一幕で
、ミュージカル「エリザベート」でも皇太子がピストル自殺するシーンが出てきます
日本でも 演劇の題材として上演されているようですが わたしは 知りませんでした。
今は 狩猟の館は 修道院に改装されています。



もと別荘地ということもあって 素敵な場所です。
まわりには ブドウ畑,牧草地 ウィーンから 1時間くらいの場所です?
中は どうしても お棺などが置いてあったり この場所のことを聞いて
ちょっと怖かったです。
事実はわかりませんのでミステリアスな感じがしました。
ウィーンの森はベートーヴェンが交響曲“田園”の楽想を得たといわれる場所が
あったりと そんなイメージがわかるような きれいな景色です。
バーデン観光です。
古代ローマ帝国時代に発見された硫黄温泉で 今でも使われています。
バーデン入口から少しのところに 青空市場がありました。
買って帰りたいが ダメですね!

と思っている間もなく 添乗員さん ”待って~”
おいていかれますね。!
バーデンの街
ハプスブルグ時代に王家の夏の保養所として栄え
、モーツァルトやベートーベンなどの音楽家達にもりようされていたようです。

ベートーベンハウス

市庁舎広場前 三位一体の像(ペスト記念柱)

この街 お花もきれい
これ誰・?

コリウスの寄せ植え

地植えのエキナセア

残念ながら 温泉は見れませんでした。
いや 入れませんでした。
こちらは 当然 水着を着てはいるプールみたいな温泉です。
これからまた 1時間くらいでウィーンに戻ります。
ウィーンで また 自由行動です。
とくに行く所は考えておらず(月曜日は美術館 博物館など休み)なので
自然史博物館にマリーアントハネットの飼っていた ワンコ(パピヨンの剥製)
があると情報を得たので 行きたかったが 建物の外見だけのぞき~
結局は 新王宮~王宮~抜けて 待ち合わせ場所に!
再び 新王宮

王宮と中庭 (フランツ2世像)です。
最後の神聖ローマ皇帝でマリア・テレジアの孫、
マリー・アントワネットの甥にあたります。

王宮

そして



ホーフブルク王宮は、1918年までハプスブルク家歴代の神聖ローマ皇帝
またはオーストリア皇帝の居城でした。もともとは中世に建てられた城で
、長年にわたってハプスブルク家の強大化と領土の拡大に伴って拡張されました。
とてもきれいです。
食事をして ホテルについたのは 8時30分
まだ 明るいので 時間の感覚がなくなりますね。
まだまだ ウィーンです。
写真の確認で きづきました。
午前中は シェーンブルン宮殿は 行きました。
でも 新王宮は バスからの見学だったかも~
ウィーン歴史地区のシュテファン寺院は外見だけの見学で 自由行動のあとに
その時の歴史地区の様子


すごい人でした。
午後2時から
オプショナルツアー
ウィーンの森とバーデン観光を申し込んでいたので参加しました。
マイヤーリングの皇太子別荘=狩猟の館
エリザベート皇后のたった一人の息子:ルドルフ皇太子は、
1889年、ウィーンの南30kmのウィーンの森マイヤーリンクにある
「皇太子別荘=狩猟の館」で、男爵夫人マリーと共に自殺します。時に皇太子30歳
、マリーは17歳でした。これが後に映画にもなった「うたかたの恋」の一幕で
、ミュージカル「エリザベート」でも皇太子がピストル自殺するシーンが出てきます
日本でも 演劇の題材として上演されているようですが わたしは 知りませんでした。
今は 狩猟の館は 修道院に改装されています。



もと別荘地ということもあって 素敵な場所です。
まわりには ブドウ畑,牧草地 ウィーンから 1時間くらいの場所です?
中は どうしても お棺などが置いてあったり この場所のことを聞いて
ちょっと怖かったです。
事実はわかりませんのでミステリアスな感じがしました。
ウィーンの森はベートーヴェンが交響曲“田園”の楽想を得たといわれる場所が
あったりと そんなイメージがわかるような きれいな景色です。
バーデン観光です。
古代ローマ帝国時代に発見された硫黄温泉で 今でも使われています。
バーデン入口から少しのところに 青空市場がありました。
買って帰りたいが ダメですね!

と思っている間もなく 添乗員さん ”待って~”
おいていかれますね。!
バーデンの街
ハプスブルグ時代に王家の夏の保養所として栄え
、モーツァルトやベートーベンなどの音楽家達にもりようされていたようです。

ベートーベンハウス

市庁舎広場前 三位一体の像(ペスト記念柱)

この街 お花もきれい
これ誰・?

コリウスの寄せ植え

地植えのエキナセア

残念ながら 温泉は見れませんでした。
いや 入れませんでした。
こちらは 当然 水着を着てはいるプールみたいな温泉です。
これからまた 1時間くらいでウィーンに戻ります。
ウィーンで また 自由行動です。
とくに行く所は考えておらず(月曜日は美術館 博物館など休み)なので
自然史博物館にマリーアントハネットの飼っていた ワンコ(パピヨンの剥製)
があると情報を得たので 行きたかったが 建物の外見だけのぞき~
結局は 新王宮~王宮~抜けて 待ち合わせ場所に!
再び 新王宮

王宮と中庭 (フランツ2世像)です。
最後の神聖ローマ皇帝でマリア・テレジアの孫、
マリー・アントワネットの甥にあたります。

王宮

そして



ホーフブルク王宮は、1918年までハプスブルク家歴代の神聖ローマ皇帝
またはオーストリア皇帝の居城でした。もともとは中世に建てられた城で
、長年にわたってハプスブルク家の強大化と領土の拡大に伴って拡張されました。
とてもきれいです。
食事をして ホテルについたのは 8時30分
まだ 明るいので 時間の感覚がなくなりますね。
家族旅行中欧五カ国周遊10日間 その④-1
その④-1
オーストリア(ウィーン)観光
宿泊ホテル オーストリア( ポーセンドルフ)イベントホテル ピラミッド

朝食後 散策
藤の花が

ポーセンドルフ~ウィーン
バス移動しながら 車内から街の様子を撮影

新しい建物が ここは 新市街でしょうね!
8:30出発 9:15には 世界遺産 シェーンブルン宮殿に

ハプスブルク皇帝の夏の離宮だったこのバロック宮殿では、
マリアーテレジア女帝やエリザベート皇后(シシィ)の暮らした豪華な部屋の数々が
、見学コースとして公開されています。
マリア・テレジア女帝の時代、1743年以降、抜本的に改築されました。
宮殿内には公的な目的の広間のほかに多くの私室があり
1918年 新生オーストリア共和国の所有となりました。
1441の部屋があり45の部屋が一般公開されています。
すべてがロココ調の様式だそうです。
ここでは 添乗員さんのガイドが禁止され 専門のガイドでなければ
案内していただけない決まりがあり ウィーン在住の日本人ガイドさんが
半日 ウィーン歴史地区観光も同行してくれました。
「中国の部屋」「青い陶器の部屋」「ミリオンの部屋」などありましたが
自分ペースの観光でないため 感動の間もなく 部屋を通過した感がありました。
美しい庭も 世界遺産に登録されているらしく 広大な庭には圧巻でした。


ここで見た お花 セイヨウノコギリソウ

驚きです
このお花が 野生化しています。
それも白 これから向かう先々で この花に出会いました。
また バスに乗り 王宮に向かいます。
市電が走っていました。

今回利用はしませんでしたが 個人観光されるかたには 必須のようです。
ブルグ門
新王宮に入るための門です。
ブルク門は1824年に、ライプツィヒの戦いでフランス軍を破った
記念に建てられた門です。

この門を通って ホーフブルグ(新王宮)にむかいます。

新王宮前にはオーストリアをトルコから守った英雄オイゲン公騎馬像が建つ。
新王宮は現在エフェソスや民俗学などの博物館になっている

ブルグ門のところからみえる マリア・テレジア広場 とその横に
観える 自然史博物館


ここを あとに移動 途中 市庁舎がみえました。

ウィーン歴史地区観光です。
シュテファン寺院


このあと 自由行動に!
昼食もフリーでしたので テラス席のあるレストランにて スパゲティーを
いただきました。
午後からは 家族3人で 自由行動!
まずはお買いものからでした。
その④-2につづく
オーストリア(ウィーン)観光
宿泊ホテル オーストリア( ポーセンドルフ)イベントホテル ピラミッド

朝食後 散策
藤の花が

ポーセンドルフ~ウィーン
バス移動しながら 車内から街の様子を撮影

新しい建物が ここは 新市街でしょうね!
8:30出発 9:15には 世界遺産 シェーンブルン宮殿に

ハプスブルク皇帝の夏の離宮だったこのバロック宮殿では、
マリアーテレジア女帝やエリザベート皇后(シシィ)の暮らした豪華な部屋の数々が
、見学コースとして公開されています。
マリア・テレジア女帝の時代、1743年以降、抜本的に改築されました。
宮殿内には公的な目的の広間のほかに多くの私室があり
1918年 新生オーストリア共和国の所有となりました。
1441の部屋があり45の部屋が一般公開されています。
すべてがロココ調の様式だそうです。
ここでは 添乗員さんのガイドが禁止され 専門のガイドでなければ
案内していただけない決まりがあり ウィーン在住の日本人ガイドさんが
半日 ウィーン歴史地区観光も同行してくれました。
「中国の部屋」「青い陶器の部屋」「ミリオンの部屋」などありましたが
自分ペースの観光でないため 感動の間もなく 部屋を通過した感がありました。
美しい庭も 世界遺産に登録されているらしく 広大な庭には圧巻でした。


ここで見た お花 セイヨウノコギリソウ

驚きです
このお花が 野生化しています。
それも白 これから向かう先々で この花に出会いました。
また バスに乗り 王宮に向かいます。
市電が走っていました。

今回利用はしませんでしたが 個人観光されるかたには 必須のようです。
ブルグ門
新王宮に入るための門です。
ブルク門は1824年に、ライプツィヒの戦いでフランス軍を破った
記念に建てられた門です。

この門を通って ホーフブルグ(新王宮)にむかいます。

新王宮前にはオーストリアをトルコから守った英雄オイゲン公騎馬像が建つ。
新王宮は現在エフェソスや民俗学などの博物館になっている

ブルグ門のところからみえる マリア・テレジア広場 とその横に
観える 自然史博物館


ここを あとに移動 途中 市庁舎がみえました。

ウィーン歴史地区観光です。
シュテファン寺院


このあと 自由行動に!
昼食もフリーでしたので テラス席のあるレストランにて スパゲティーを
いただきました。
午後からは 家族3人で 自由行動!
まずはお買いものからでした。
その④-2につづく
家族旅行中欧5カ国周遊10日間 その③-2
その③-2
オーストリア(ハルシュタット)~メルク
バスで 3時間30分(202km)の移動です。
メルク散策 45分予定です。
景色最高に良く ドナウ川が ここにも流れています。

修道院に向かいます


修道院内教会

ここはローマ帝国時代の要塞だった場所、そこに10世紀末バーベンベルク家が城を作り
、さらに城砦化された修道院に変わっていったとのこと「メルク修道院」は、
「11世紀、バーベンベルク家のレオポルド一世がベネディクト派の
修道院をここに建立。18世紀に改築され、オーストリア・バロックの至宝
とまでいわれるほど華麗な姿になった。また、1770年にマリー・アントワネットが
フランスのルイ16世のもとへ嫁ぐ途中で、この修道院で一泊している」と
ありました。

外壁もですが 天井壁画もうっとりです。

展望所から


お庭もとてもきれいに整理されていました。
ところどころに見覚えのある花が・・・
アザミ

ノカンゾウ

お花も満足して また移動
世界遺産 ヴァッハウ渓谷 をドライブして ポーセンドルフに向かいます。
2時間15分かけて 夕食のレストラン到着
ホテルについたのは 8時30分過ぎでした。
イベントホテル ピラミッド ここに二泊しました。
家族旅行中欧五カ国周遊10日間 その③-1
その③-1
(オーストリア)ザルツブルグ~ハルシュタット
朝 まずは 朝散歩 ホテル近辺

朝 7時くらいなので まだ人はあまりいませんでした。
朝食を6時半にはいただいたので 程よい散歩コースでした。
散策で 見知らぬ花木をみつけました。・?です。


荷造りして ポーターに荷物預けます。
ここで また 小銭が必要となります。
ポーターにお礼にチップ お掃除の方にチップです。
さあ 1時間20分のドライブで オーストりア(ハルシュタット)に向かいます・

オーストリアは 北海道と同じくらいの面積があり アルプス山脈があるため
夏より冬が長いアルプス気候だということです。
はっきり 覚えていませんが 湖の数も 70以上あるとか?
なので 移動中沢山の湖を観ることが出来ました。

ハルシュタット湖(Hallstätter See)はオーストリア・オーバーエスターライヒ州の
ザルツカンマーグートエリアのハルシュタットにある湖です。
このハルシュタットは ユネスコの世界遺産に登録されています。
それとこの近くで岩塩が採れたため先史時代(紀元前9〜2世紀)から
重要な商業の中心地だったため ”塩”で 名だ高い街として紹介されました。


この歴史ある街を1時間ほど散策して 昼食もとりました。

お花もきれいです。


アジサイが まだ咲いていました。
お花は日本でみるものとかわりません。親しみわきますね!
オーストリアは テラスにお花を沢山飾られています。これは ”我が家は
きれいにお掃除してます”ってしるしだそうです。
私も こんなふうに 自慢できる家にしたいと思います!
午後からは 3時間30分かけて メルクへ移動です。 その③-2につづく
家族旅行中欧5カ国周遊10日間 その②
旅行1日目
成田~ミュンヘン~オーストリア(ザルツブルグ)
成田まで 品川から 「成田エクスプレス」にて移動

さすがに夏休みインです。
成田は込み合っています。
ツアーですが 旅行会社から 色んな書類をいただき あとは
ミュンヘンの空港にて集合
出国手続きにかなりの時間は とられましたが 約1時間ほどラウンジにて休憩
軽く食事とり 飛行機イン

ウエルカムドリンク(シャンペン)後 食事 洋食
飲み物は なんでもオーダー出来るサービス!!
ここで またまた幸せ感じる~!
映画「崖ぶちの男」観賞しながら 睡眠!
食べて寝て映画観て 12時間の飛行クリアです。
ドイツ(ミュンヘン)にて はじめて ツアーメンバーと合流
バスにてザルツブルグまで バス移動です。
最高21℃ 最低16℃くらいらしく 雨が降っていたこともあり寒い感じ!
ビンゴな予報でした。

2時間30分のバス移動
途中 ドライブインにて トイレ休憩
ドイツは ほとんどのトイレ有料ですが 面白いシステムで 70¢(セント)支払い
50¢キャシュバッククーポンで ドライブインにて利用可能
”どうしたっけ” 3人分で 1€(ユーロ)50¢ ?
この時のレートが 1€=98円くらい
このころより 添乗員さんから 小銭を作ってくだい!と
言われますが のちのち この意味がわかりはじめました。^^:
(オーストリア)ザルツブルグ・ウエスト到着
すでに 現地時間 夜9時

ホテルは 家族3人利用を希望していたので この日は ラッキーな
ことに 3人部屋 ベットが3つあり 娘もくつろげたようです。

今回利用したホテルのベットは この様式でした。
話によれば ヨーロッパの方は ご夫婦で一緒に寝るという習慣が
まだまだあるそうです。(日本だとセミダブル2つ 離れ離れだもんね。)
この日は 荷物の片づけ 洗濯し 記憶のないまま就寝~!
移動だけで 終わった1日目でした。
人生二度目の海外旅行 中欧5カ国 その①
家族で 中欧5カ国(ドイツ,オーストリア,スロバキア,ハンガリー・チェコ)
周遊10日間の旅に行ってきました。
ミュンヘン発着ビジネスクラス 快適な旅行でした。
家族3人とツアーの方々11人と添乗員さん 合わせて15名の旅となりました。
国から国へは バス移動
最近は フリーで入ることが出来るようになっていたのには驚きでした。
ただ知らなかっただけですが・・・・!
広い土地と 広がる大自然 感動ですね。

世界遺産を 10ヶ所
その1つ オーストリア「ハルシュタット」

ミュンヘン到着時は 雨でしたが 幸いにも 観光日は 雨も
あがってくれました。
雨にあったのは 9日目 バス移動休憩時に雨にあったのと
ザルツブルグ観光時に少々の雨
かなり天候にはめぐまれました。
写真を 毎日200枚くらい撮っており 今まだ整理に追われています。
ヨーロッパとは 時差(サマータイム)あわせて7時間でした。
お日様も 5時くらいから21時過ぎまで明るく 忙しい毎日でした。
食事も チョーハード!
太らないのが変かも!

これに サラダとデザート付き 当然 パンとビール
こんな 感じで 10日間すごしてきました。
写真整理して 旅行記まとめます。
体重も せめてもとに~!
周遊10日間の旅に行ってきました。
ミュンヘン発着ビジネスクラス 快適な旅行でした。
家族3人とツアーの方々11人と添乗員さん 合わせて15名の旅となりました。
国から国へは バス移動
最近は フリーで入ることが出来るようになっていたのには驚きでした。
ただ知らなかっただけですが・・・・!
広い土地と 広がる大自然 感動ですね。

世界遺産を 10ヶ所
その1つ オーストリア「ハルシュタット」

ミュンヘン到着時は 雨でしたが 幸いにも 観光日は 雨も
あがってくれました。
雨にあったのは 9日目 バス移動休憩時に雨にあったのと
ザルツブルグ観光時に少々の雨
かなり天候にはめぐまれました。
写真を 毎日200枚くらい撮っており 今まだ整理に追われています。
ヨーロッパとは 時差(サマータイム)あわせて7時間でした。
お日様も 5時くらいから21時過ぎまで明るく 忙しい毎日でした。
食事も チョーハード!
太らないのが変かも!

これに サラダとデザート付き 当然 パンとビール
こんな 感じで 10日間すごしてきました。
写真整理して 旅行記まとめます。
体重も せめてもとに~!
| HOME |